伝記ちょいみせブログ

私の伝記の一部お見せしております

ラジオ王の右腕。〜ホンマルのレイリー〜

 

僕、田中明広は1990年7月17日に和歌山県和歌山市に生まれました。

 


父と母6人兄弟の4番目
ピンとこないですよね!笑 6人兄弟って

 

シンプルに家に人間が8人いる。ってことです
嬉しさ・しんどさ・喧嘩・仲良しの量が
4人家族の倍。

 

 

幼少期から好奇心が旺盛で、知らない人にも手を振ってしまうほど。


トレードマークのメガネもその頃からかけていました。
メガネをかけているという情報だけでも覚えて帰ってください^^

 

小学校に入ってから、ゲームに出会います。特に僕がハマったのが
RPG(ロール・プレイング・ゲーム)
自分がやり込んだ分がキャラのレベルになる。自分のペースでプレイできる
そんな感覚が好きでした。

 

親に半ば無理やり、そろばん教室に入れられたのですが、サボってました。笑

 

高学年になると、
転職を繰り返す父の金銭的影響と
共働きで忙しくなった母の家庭的事情により、

 

兄弟で家事を分担することに

よく、夜遅くまで友達の家で遊び
親に怒られるのが嫌で外で寝たり、こっそり忍び込んだり。

 

 

その頃に父が家のテレビを捨て、学校の話題についていけなくなり
周囲とギャップが生まれるるように、そこから人と話すことに苦手意識を持つようになりました。

 

 

怒られるのがイヤ。

ついてけないのがイヤ。
人に見下されるのがイヤ。

当時「イヤ」が多くて、先回りして「イヤ」を
回避するように

そのきっかけになったのが
学校のクラスメイトから「自己中」と言われるようになったこと。

 

 

自分で言うのもアレですが、
僕は真面目でした。

 

僕の真面目の定義は
自分の「こうあらねばならない」が壊せない人。

 

 

「こうあらねばならない」を人に当てはめて
人を上や下に見ることもありました。

 

高校は、倍率が低く、学力も自分より低い学校を選びました。

 

 

高校生活は吹奏楽部に没頭しました。
部活が楽しくて学校に行くくらい。

その傍らで飲食店でアルバイトを始め、
そこの料理長が私にとても影響を与えました。

 

 

料理長は厳しく、見た目も料理よりヤクザ。
でも、筋が通った方で、人生の大切なことをたくさん教えてくださいました。


単純作業は早くする。自分のミスを許してもらうために仲間に謝るなら、お客さんに何ができるかを考える。

 

 

進路を決める三者面談で、
大学に行きたくない、就職もしたくない。

と専門学校へ進学。卒業して得れたものは特になく、

 

 

そのまま通信制の大学に進学したのですが、特に学ぶべきことも見つけられずに中退して

 

23歳の時に板金工場で働くことに
その際に言われた父からの言葉「今、苦労しとけよ」が


納得いっていない。

 

何が?と思われる皆さんに向けて2行程でお伝えします。

 

父の考えは、若い時に苦労して、年老いてから楽に暮らす
僕の考えは、老後に楽しても体力も衰えているし、年老いてから自由に暮らしても仕方がない。

 

 

ものづくりが好きだったので、仕事の内容はフィットしていたのですが、
時間の自由がないことに不満を抱えていました。

 

2年後、25歳で父に不動産に誘われて
一応、いってみよう感覚で受けた面接に一発合格。

 

 

晴れて就職したのですが、なんかしっくりこない。

 

仕事もあまり好きではないし、時間の余裕もない。


そこからの焦りが沸々と湧き出しました。

漠然と自分の人生に不安を抱いてる時に
なんとなく参加してみた「ボルダリング」で

ネットワークビジネスの活動している方と知り合い、
そこで、新しい働き方の形を知りました。

 

 

でも行動ができない。

 


ものをいいと思っていても、いいと言えない。

真面目な私が邪魔をする。


相手にどう思われるかを気にしてしまう。


そこを極めることはいったん諦めました。

 

しかし、今までに体感したことのない
新しい刺激に感化され、

勢いで、あてがないのにもかかわらず
退職届を提出しました。

 

 

そして、そのタイミングで「嫌われる勇気」という
一冊の本に出会いました。
その本を読み、自己中と言われて塞ぎ込めていた
「自分」に「わがままな気持ち」に正直になっていいのだと、
その結果嫌われてしまうのは仕方ない。と思えるほど、自分に正直に生きて初めて、自分の人生を生きているということなのかもしれないと思えました。

 

 

自分の本当の気持ちを言うことの大切さをわかったと同時に、それを言える相手がいなければ、環境に居なけれれば、本音はなかなか出せるものじゃない。ということにも気がつきました。

 

 

モヤモヤしている私の元に、きっかけが巡って来ました。

 

 

乗り合わせで大阪に向かった友達が、ラジオに出演するという話を聞いて、「なんかおもろそうやな」と思っていた所にパーソナリティーの方に「みんなででぇや」と一声。

 

 

その場所が、「本気の人が、本気でしゃべる、本気まるだしラジオ局」のホンマルラジオでした。

 

「やばい!これが求めていたことや」

 

 

そして運命の連鎖。

 

僕は一目惚れをしました。

 

 

それがホンマルのスター。なんぼでも社長。

前田薫(まえだ かおる)。
通称かおるちゃん。

僕は出会ったその瞬間にこの男と何かをしたい。いや、できる!

 

 

そこからの決断は一瞬。かおるちゃんの元でディレクターになりました。


あまりに一瞬で書くエピソードがないくらい。笑

 

 

 

 

一瞬で大阪ディレクターになったもので、具体的なプランや目標は一切ないのですが、かおるちゃんといれば「何か」ができる。ホンマルラジオにいれば「何か」が起こる。と確信しています。