伝記ちょいみせブログ

私の伝記の一部お見せしております

新潟のお友達

おはようこんにちこんばんわ

伝記・プロフィールを書かせたら世界1!

おはっちーこと蜂谷航平です^ ^

 

 

 

★プロフィール紹介★

よこけん★

メガネとハットで日本中飛び回る、転売&情報発信のお兄さん

youtubeもされてます:

ラジオのパーソナリティでもあります:

面白いことをたくさんされてる方のプロフィール

 


何かを感じた方は

是非交流をもって下さい!!

 

 

 

☆*:.。. 本文.。.:*☆

初めまして!

どーもよこけんです^^★

 


特徴は色メガネ&ハット

性格は目立ちたがり屋の変わり者。

 

 

 

ライバルはジョニーデップさん。笑

 

 

 

普段の僕の活動をfacebook等でご覧いただいている方は

「なんだこいつは?」と疑問持ってくださっていると思います。

 

 

 

そんなあなたに実はよこけん意外と真面目でキチンとしたとこあるぞ!

と、新たな一面をお見せいたします。

 

 

 

 

 

 

のではなく。

 

 

 

ありのままのよこけん

つまり変わリもので、やりたいことはなんでもやっちゃうよこけんの

2018年現在に至るまでの人生の軌跡をお届けいたします。

 

 

 

 


僕は1992年、新潟の小千谷(おぢや)に生まれました。

父・母・弟の4人家族。

 

 

 

お調子者でアホでとても優しいが

人に迷惑をかけたり、人の物を壊した時は

本気で怒ってくれるとても尊敬できる父

 

 

 

とても仲良しで、いい意味の友達感覚で

気軽に遊びにいったりする母

 

 

 

元ヤンの可愛い弟

 

 

 

が僕の家族。

 

 

 

肝心の僕はというと。

 

 

 

やんちゃ坊主でした。笑

 


幼稚園のころからやんちゃで

レンジャーごっこは赤レンジャー

 


やんちゃが過ぎたときは

父にぼこぼこにしかられました。

 

 

 

小.中学校のころの僕を語るうえで欠かせないのが

『バスケットボール』です。

 

 

 

バスケを始めたのは小学校高学年

本当に一筋に打ち込みました。

 

 

 

チームも強いチームで

県大会に出場できるほどの実力。

 

 

 

初彼女ができたのもこの頃です

とはいっても「両想いだね。」くらいのもので

特に二人で何かしたわけではないのですが

 


今でも覚えているよき思い出。★

 


中学に進学する前に初彼女とは別れましたが、

バスケとの交際は中学に入学してからも続きます。

 

 

 

バスケ同様打ち込んだものが「いたずら」

父の教えである『人に迷惑をかけない』には若干背いていますが

みんなをハッピーにするいたずらなので許してください。笑

 


                                                                                                                                                                                         

 


時間があればいたずらを仕掛けていた

僕のいたずら集をお話しします。★

 

 

 

・かばんにティッシュ詰めまくるドッキリ

 


・学校の駐輪場にある自転車の空気全部抜く

 


と多種多様ないたずらを仕掛けてはみんなで笑っていました。

 

 

 

割となんでもやってみるとできてしまうよこけん。

勉強もやってみると案外できてしまうオールラウンダーぶり

 

 

 

しかし、この頃の自分を振り返えると

ダサいなーと思ってしまうことが多いです。

 

 

 

最も僕のダサいところは

自分の弱い部分を他人に見せられない

かっこつけたところ。

 

 

 

人の魅力はいいところだけでなく

悪いところやダサいところにもある。

そんな大切なことを教えてくれたやつとの出会いは後ほど…

振り返ってみると、

小さい頃からやりたいことをやってて

今と変わらない感じですね★

 

 

 

高校への進学は

友達がそこに行くからという理由で

総合学科という特殊な学部の学校へ

 

 

 

僕の成績よりは易しめの偏差値の学校だったので

難なく受験も合格。

 

 

 

高校でバスケを続けるどうか悩んだのですが、

ほかにやりたいことがあってバスケを諦めました。

 

 

 

1つのことに打ち込むのもいいこと

でも僕の興味は色んなことへの挑戦に意識が向いていました。

 

 

 

まず、僕が挑戦したのが「バンド」

 


FAT LIP というコピーバンドを地元の仲間たちで結成し

パンクロックのアーティストさんの曲をライブなどで歌っていました。

 

 

 

バンドの活動は友達の交友範囲を広げてくれました。

 


学生時代に外でバンドをするなんていう

珍しい人の集まり。

 

 

 

言い方が綺麗すぎましたね

 


新潟の各地からのはみ出し者でバカやろう達の集まり。

こんなとこでしょう★

 


そのはみ出し者たちとの日々で

僕は多くのことを学び、人としてとても成長することができました。

 

 

 

 


「自分の弱い部分を他人に見せられない」

自分のかっこ悪いところに気づかしてくれたのもこいつらで

 

 

 

その中でも一番ぶっ飛んでいたやつなんていうのは

行動力・ノリの良さ・さらけ出し方が桁違いで

めちゃくちゃかっこよかった。

 

 

 

僕もノリはいい方でしたが、圧倒されました。

振り切ってるやつのすごさってやつに。

 

 

 

 


その次の挑戦は「バイト」

 

 

 

中三から高校三年間、大学中退にいたるまでに

いろいろなバイトを経験しました。

 

 

 

そこではバンドのクレージーさとは対照的に

社会のマナー・ルール・礼儀作法を学びました。

 

 

 

常識と非常識

ONとOFFがあってこそ

ぶっ飛んでるやつですよね★

 

 

 

バイクを買ってからはみんなで

遠出をしたり、旅に出たり。

 

 

 

行動力がひろがりました。

 

 

 

ぶっ飛んだキャラと行動力

そう!今のよこけんです(笑)

 

 

 

この頃の経験は今の自分にとっての軸であり、欠かせない大切な思い出です。

 

 

 

バスケを続けていたら

今のよこけんはおそらく存在していなかったでしょう

 

 

 

 


自分の学力のレベル通りの学校に進学していたら

今のよこけんはおそらく存在していなかったでしょう

 

 

 

高校時代の環境の1つ1つがよこけんを作ったといっても過言でない。

環境はたいせつですね~

思い返しながらしみじみ思います。

 

 

 

やんちゃグループにいながら

勉強もしていたので

 

 

 

高校の指定校推薦で進学。

 


大学は機械系・プログラミングの男子校。

 

 

 

入った後に気が付いたのですが

あまり楽しめなかったです。

 

 

 

 


それに加えて、居酒屋のバイトで信用をされていて

学生バイトでは経験できないことをまかされていたので

居酒屋のバイトの方が学業より楽しくなっていて

 

 

 

完全な夜型人間になっていたので

授業が行われているお昼の時間帯は貴重な睡眠時間。

 

 

 

学校の駐車場に来て、車の中で寝る

目が覚めたらパチンコ屋にいって、家に帰る。

 

 

 

そんな不思議な登下校が

 

 

 

僕のキャンパスライフの基本ループになっていました。笑

 

 

 

 


もちろん単位もまったく取れなかったので

留年が決定。

 

 

 

 


もともとおもしろくなかったし

留年がきまったししかたねぇーと中退を決意。

 

 

 

 


「大丈夫か?よこけん」と思いのあなた。

または、現在大学を中退してしまったあなた。

 

 

 

大丈夫!

人間はよっぽどのことがない限り死にません★

 

 

 

 


3か月間のフリーター期間を経て

よこけん社会人になる。

 

 

 

 


メーカーの工場でベアリングという

金属部品を作る仕事に就きました。

 

 

 

1/1000mm単位の細かい作業はあまり好きではなかったのですが

職場の人たちはいい人ばかり。

 

 

 

とても楽しい人たちと一緒に働けたのはとてもいい経験でした。

 

 

 

社会人になるうえで

僕は自分に1つだけ決めごとをしていました。

 


『目立つかっこいいやつになること』

 

 

 

なのでなんせ注目を集めるために

当時はイケイケだったビジュアルと

職場の様々な人に話しかける人懐こさで色んな人に知ってもらい

 

 

 

どうすれば印象に残るやつになれるか

細かいところも意識しつつ魅せ方を試行錯誤しました。

 

 

 

その結果。2年目で班長に就任。

そんなもんか?よこけんよ。と声が聞こえます

 

 

 

ご安心ください^^

これは序章にすぎませんよ。

 

 

 

しかし、皆さん。

班長になるのも会社内においては異例中の異例。

 

 

 

ケントやるな

ケントただものじゃねえな

という声がちらほら。

 

 

 

こうなったらお祭り男の僕の勢いは止まることを知りません。

 

 

 

さらに加速し

 


会社の若者のコミュニティのリーダーに就任。

 


さらにさらに加速し

 


主任に就任。

 


さらにさらにさらに加速し

 


会社のパンフレットに掲載されるように

 


もうそのころには

周りから大きな期待を寄せられるように

 

 

 

20代ですでに1回りや2回り上の人と

同じ役職について僕が手にしたのは

 

 

 

名ばかりの役職と

責任と規模が大きくなった仕事と

ある程度先行きの見える将来像のみでした。

 

 

 

 


そこにパンクもなければロックもなく

なんにもワクワクできませんでした。

 

 

 

 


自分のおよそ決まりきった将来をかえるには

自分で何か行動を起こすしかないと

 

 

 

ネットで「副業」と検索

 

 

 

副業と検索したのはやはり

自分の将来像のなかでがっかりしたのが「給料」だったのかも★

 

 

 

当時の給料は手取り14,5万。

好奇心旺盛な僕のあれもこれもにはとても届かない額。

 

 

 

今の会社に依存せず

それに僕という個人がお金を稼ぐスキルを得たいと思うようになったのも

一つの理由。

 

 

 

 


副業で検索したら

目に飛びこんできたのが転売の情報。

 

 

 

 


やればやるほど稼げて力がつく

そんな転売の世界にワクワクしている自分がいました。

 

 

 

 


転売のセミナーに通う中で

転売よりも自分が興味を持てるものを見つけてしまいました。

 

 

 

 


それが「情報発信者」

 

 

 

 


いやいやまだ転売も始めて間もないのに

「情報発信者」を目指すの?

よこけん。まだ早いんじゃないか?とお思いのあなた。

 

 

 

時すでに遅しですよ。

言ってあげるなら当時の僕に。

 

 

 

でも当時の僕に言っても無駄かもしれない。

やりたい!と思うともう止まらないんで★

 

 

 

そんなことを思い始めたのは

転売をやって一年が経った頃。

 

 

 

その頃同時に【副業あるある】の最大公約数を向かえます。

 


「時間がたりない!」

 


この場合の「時間」は二つの意味を持ちます。

一つ目が単純なタイムスケジュールにおいての「時間」

二つ目が人生の残りの「時間」

 

 

 

新しい挑戦にやりがいを感じ始め、

やりこむうちに、やりがいを感じれていない

自分の本業に時間を使っているのなんてもったいない!

 

 

 

 


そして、自分のやりたいこと好きなことが

世界が広がったことによりたくさん見えてきました。

 

 

 

あれもこれもやりたい!

 

 

 

死ぬまでに終わるかな?

 

 

 

。。。俺っていつ死ぬんだろう?

 

 

 

考えても無駄か!

 

 

 

じゃあいつ死んでもいいように

毎日いい仲間たちと自分が最高と思える仕事をしよう★

 

 

 

この二つの時間が理由で

会社を辞めることを決意しました。

 

 

 

 


話を会社を辞めるところにまで戻しますね。

 


会社を辞めるに限らず

挑戦をするときに付きまとってくるのが

『Dream killer』です。

 


Dream killerというのは

新しい挑戦をする人に対して、

辞めた方がいいよ、危険だよなどその芽を摘もうとする人

 


そういう人たちがよくいうのは「考えたほうがいい」と「早まるな」

そんな Dream killerによこけんは一言

 


「やったことないですよね?あなた★」

 


虫が止まったのかな?くらいで

あまり気にしませんでした

 


言ってくれる気持ちは大変嬉しいのですが

 


やったことない

人の声なんですよね所詮。

 

 

 

その反面、経験者である

転売の先輩や他の企業家さんに聞いてみると

 


「おーやってみな」「絶対成功するよ」など

ポジティブな意見が多いです。

 

 

 

やったひとがポジティブな意見

やってない人がネガティブな意見を持つ。

 

 

 

だからこそやってみないと分からないのです。

 

 

 

もし、現在 Dream killerに悩んでいたり

Dream killerの言葉に苦しめられていたら

やったことのない人の意見でしょ

とあまり重く受け止めないようにしましょう。笑

 

 

 

親や会社の上司や20の頃から付き合っている彼女

様々な人に反対されましたが

 

 

 

まっすぐに本気だと伝え続けると

自分の思いが伝わったのか、

 


会社を辞めることができ、

晴れて、情報発信者への道を歩みだすことになりました。

 

 

 

僕が情報発信者をめざすようになったのは

お客様・クライアント様との"距離感”の違い。

 

 

 

工場や転売の仕事は

自分のお客様との接触がない。

 

 

 

自分の作った部品が誰の手に渡るのか

自分の売った商品が誰の手に渡るのか

分からないまま日々の仕事は進んでいきます。

 

 

 

しかし情報発信者は直にお客様と繋がることができる。

これは人が好きな自分にとって最高の条件

 


なので、お客様のLINEは絶対に返しますし、

なるべく直接会うようにしています★

 

 

 

ありがとう。なんていってもらえた際にはうれションもの。

 

 

 

人が好きですし、人との出会いは大切にしています。

 

 

 

ここで突然ですが、「よこけんクイズ」です!

 


人との出会いを大切にするために

僕は意識的に行っていることがあります

 

 

 

それはすでに一度登場した心がけです。

ではいったいなんでしょうか?

 


気になる方はスクロールをしてご確認ください!

 

 

 

★★答え★★

 


目立つかっこいいやつになること。

 


僕の理想は『1shot 1kill』

一度見たら忘れられないやつ。

 


印象界のゴルゴ13的な。笑

 


ほんとに~?

と思ったあなたはぜひ一度お話ししましょ★

あなたの死に際の走馬燈にまで登場しますよ

 


心がけは会社員の頃から変わらないんです。

 


でも環境が違うというだけで

同じ心がけで同じ行動をとっていても

得られる結果は大きく違います!

 

 

 

自分よりも経営者の先輩からは

「よこけんいいね! よこけんになら任せれる!」と

たくさん仕事を振っていただけるし

 


自分よりも後に「転売」を始めた人から

「よこけんさんだからこそ教わりたい!」と

数多とある転売のコミュニティから

「よこけん」ということで僕を選んで下さったり。

 

 

 

会社員時代は名ばかりの肩書しかついて来なかった

僕の強みが環境を変えただけで、

 


たくさんの仲間に恵まれ、そこからビジネスが生まれるようになりました。

 

 

 

その中でより多くの人によこけんを知ってもらうために

youtubeのチャンネルを開設したり

ホンマルラジオGreen labelというラジオ局でパーソナリティーをしたりしながら

日本各地を飛び回っております。

 


お金を稼ぎたい!

だけでなく、人生を楽しくしたい方は僕のところへ★

 

 

 

ぜひ町中でメガネとハットをお見かけした際は

「よこけんじゃないですか?」とお声かけいただくと嬉しく思います。

 

 

 

というのが、僕の2018年5月に至るまでのストーリー。

 

 

 

長文にお付き合いいただいてありがとうございます。

どうでしたか?

 


お楽しみいただけたでしょうか?

 

 

 

これだけ聞いていただいた上で、

言うとふざけるな!と言われそうですが、

 

 

 

僕が知ってほしいのは

『今』のよこけん。

 

 

 

過去のどんな僕より

今の僕の方が面白いし、はっちゃけています。

 

 

 

 


あなたが読んでくださっている今も

よこけんは何かしています(笑)

 


それも超~~変な事を。

 

 

 

僕は包み隠さず発信していると思いますが

 


やはり直接お届けしたい。

 


なので大変勝手ではありますが

お手すきの際にご連絡くださいね

 

 

 

よこけん

彼女が欲しい男子必見!タモ理論

おはようこんにちこんばんわ

伝記・プロフィールを書かせたら世界1!

おはっちーこと蜂谷航平です^ ^

 

 

 

★プロフィール紹介★

タモっちゃん(田本雅典)

僕の番組にも出演していただいた

タモ理論の教祖タモっちゃん^ ^

 

元々コミュ障やった彼が

誰でもできるコミュニケーションを開発するに至るまでのプロフィール

 


何かを感じた方は

是非交流をもって下さい!!

 

 

 

☆*:.。. 本文.。.:*☆

 

 

はじめまして!
田本雅典(たもと まさのり)と申します
みんなからは
タモっちゃんと呼ばれています

あなたも気軽にタモっちゃんと呼んで下さい😊


突然ですが質問です。


あなたは
コミュケーションが苦手ですか?


僕のコミュケーションが
苦手か得意かの定義は


『自分から他人に話しかけられる』かどうか。


別に僕の定義なので
あなたに強制するつもりはありません😊


で、


あなたは
『他人に話しかけられる』人ですか?


もしそうならば

あなたは
僕の人生に全く共感できない。


もしそうでないなら

あなたは
僕の人生にとても共感していただける。

そう思います!

 

長々と言いましたが


要は僕も
コミュケーションが苦手な
いわゆる『人見知り』でした。


そんな僕が
色んな実験をし色んな経験値を積んで


コミュ障でも
他人に話しかけられるようになる方法を
独自に構築しました。


その名も『タモ理論』


あれ?
似たような言葉を聞いたことのある方がいらっしゃいますか?


そう!
その理論もとても参考にしています笑


もしくは
なにそれ?
と不思議に思った方もいらっしゃるのかも。


なにそれは
最後まで読んでもらえると
わかるようになってます。


タモ理論の“成果”は


26まで彼女がいなかった私に
彼女ができました。


わかりやすいでしょ!


少し興味を持っていただけましたか?
その興味がなくならないうちに

僕のプロフィールを読むことをオススメします。笑

 

1989年 4月 10日
和歌山の御坊に次男として生まれます。


幼少期の記憶は
薄れているのですが


なかなかに
目立ちたがりで結構おふざけな子


厳しかった父には
よく怒られていました。


父は厳しかったですが
家庭仲は良好で年1.2回は旅行やキャンプ行く家族。

この関係も長く続く訳ではないんですが。

 

家庭仲以上に続かなかったのが

僕のお調子者っぷり。


小学校に上がる頃に
“目立とうとする自分を恥ずかしい”と
思うようになる自分が現れました。


ここからの人生
“目立とうとする自分を恥ずかしい”と
思う自分との葛藤の日々。笑


少しずつ
人見知りで引っ込み思案になっていきます。

 

小1の頃には
完全なる人見知りに


人見知りになると
何が大変かって


環境に溶け込めない事
環境に馴染めない事なんです。

 

僕は小1で
剣道を習い始めました。


そして1年間で辞めました。


何故か?
人見知りだったからです。


関係なくないですか?と
お思いではないですか?


申し訳ないです。
質問の重複💦


僕は剣道自体は結構楽しかったんです😊
ただ道場での友達は1人だけ。


その子がいなければ


ペアも組めないし
休憩中はひとりぼっち。


耐えれずに辞めてしまいました。


その後、少年野球チームに所属し
小6まで活動を続けます。


目立ちたがり屋が
恥ずかしがり屋になった小学生


性格が変わったことで
辛い思いをすることが多くなりました。


掃除当番の班の友達には
4日目まで自分の存在が気づかれなかったり


このままではいけない!と
生徒会に立候補。


存在感のない僕にとって
とても勇気のいる決断でした。


結果は落選。


存在感のない人間が
生徒会に受かるはずもなく


もはや立候補したことすら
忘れ去られていました。


現実は厳しいですね😂笑


中学校に進学した辺りから

 

卓球部に入部。
入部の理由は、楽で楽しそうだったから。


まあ、始めてみると意外にハードでしたけど。


思いのほか大変だったのと
少年野球チームのチームメイトの勧誘により


野球に転部。


ハードだった卓球部よりも
さらにハードな野球部の活動。


毎日100回のスクワット
タイヤ引きなどなど


ハードな体力トレーニングの日々の中で
自分のスタミナの向上を感じるようになりました。


2年からの入部だったので
レギュラーメンバーにはなれませんでした。


夏の大会が終わってからは
その鍛えられたスタミナをさらに鍛えるため
陸上部へ


駅伝のレギュラーチームに


1年生の頃は
しんどい事を避けていた自分が

3年の最後に
1番しんどい事を望んで始めて、


そこで自分の才能が開花。


自分の避けていた事に向き合った結果
1番大きな結果とやりがいを見出せました😊


この経験は後々
『タモ理論』にも結びつきますので
大切なポイントです!


学校での活動とは別に
田本家にとっても大きな波の訪れた時期が
この中学生の時期。


親の仲が悪化していて
家庭の空気があまり良い状態ではありませんでした。

当時の僕は両親が不仲なのに
一緒に暮らさなければならないのは
僕がいるから。
僕のせいだ。と自分を責めるように。

 

高校は建築などを学べる
高専の環境科へ


恥ずかしがり屋の僕にとって
男子校の体育会系のノリは
苦手中の苦手。


友達が作れず
部活も決められないまま
4月が過ぎ


夏休みが過ぎ


部活に入部したのが
一年後の事。

バスケ部に入部しました。


皆さんお気づきかと思いますが、
僕の人生は急です。笑


今までに
バスケとの脈絡はなんにもなかったのに


自分の背が高かったことと
楽しそうだったことから
急にバスケ部へ入部。


僕の人生は
急ハンドル・急ブレーキ・急アクセル
めちゃくちゃです💦


バスケ部に入っても
2年からの入部な上に
恥ずかしがり屋だったので


全く溶け込めずに
剣道同様1年で辞めてしまいました。


その後は
特にやりたいことも見つからないまま


就職の際に
スポーツの経験があった方がいいと言うことから

ボクシング同好会へ。

 

環境科では
建築や土木の事を学んでいたのですが

自分に合ってないことは
わかりきっていたので


大阪の石油系の会社に就職。


ここを6年後に退社することになります。


理由は直感が
自分がこれじゃないと感じてしまったから


感じ始めたのは

 

実は...

 

1年目から 笑

 

ずーっと6年間
これじゃないと感じつづけ...


6年目に決心し、退職。


そのきっかけとなったのが
5年目のこと。


同僚にとても活動的なやつがいて
その子の紹介で『副業』の世界へ


副業の塾に通い、
学んだことを実践するようになり


仕事をしながらでも
ある程度の収入が見込めたので


自分のやりたいことを見つけたいと
思い立ったのです。


学生生活を送るにしろ
会社に勤めるにしろ
ビジネスを始めるにしろ

やはり『コミュケーション』が大切で

この先苦手はままでは、
自分のやりたいことが見つかった時に


剣道やバスケのように
辞めてしまうかもしれない。


コミュケーションが苦手な自分と
向き合わなければならない時がきました。

 

恥ずかしがり屋な自分と向き合うようになったのは、

 

中学時代の経験。
苦手意識をもつことでも挑戦するなかで
気づかぬうちに得意になっていた
陸上の経験が大きいのかもしれないです。

 

コミュケーションの向上のため
勉強&実践の繰り返し。

 

本や動画などで学んだことを
合コン・街コン・相席居酒屋などで実践。


僕のタイプ・タイプでないに関わらず
仲良くなった人とは
連絡先を交換し、デートに必ず誘うように


実践の日々の中
僕の得意な会話パターン
恥ずかしくもなく、盛り上がる会話の仕方が


徐々に分かってくるようになりました!

 

それは『質問主体』
つまり聞き手側に回る会話。

 

自分の事を話しているときより
相手の話を聞いている方が


会話がより弾むのです。

 

面白い話で会話を盛り上げるのは
めちゃくちゃ至難の道。


世の中には
あの明石家さんまさんですら
面白くないという人もいるくらいですから。


しかし
相手の話を聞き出す事は


慣れと経験でなんとかなります。

 

僕みたいな恥ずかしがり屋タイプは
自分にスポットライトが当たると
緊張してガチガチ。

 

なので率先して
スポットライトのスイッチャーさんになりましょう^ ^


と、自分の得意なパターンに気がつくと
ひたすらにそのやり方を試して経験を積みました。


そして!
ついに!
なんと!


彼女ができました!!


恥ずかしがり屋で引っ込み思案な僕に
彼女ができるなんて思いもよらない結果に結びつき質問主体の会話が自分に向いてる事に気がつきました。

 

これまでの話を聞いた皆さん。
正直に言って今までの僕だったら
絶対彼女できるわけないでしょ?

 

いやー頑張ってよかった
やってみてよかったです笑

 

副業の塾つながりで
御縁屋という居酒屋での
ラジオの出演を持ちかけられました


本当に突然のオファーで

そのラジオ自体も
トークの内容も出演者に委ねられる
ちょっと特殊なスタイルだったので

 

何話そう⁉︎とものすごく焦りました。


コミュニケーションが上手くなったといえ
自分のことを話すことに関しては
何にも上手くなってないのです。


さすがにゲストなのに質問責めするのもなぁ...


しかし僕にはこれしかない。

 

だったらこの自分の質問主体の会話について話そう!


今までの経験をまとめて
付け焼き刃ではありますが
理論化しました。

 

ラジオの収録は大ハネ!
僕の理論に『タモ理論』とネーミングがつきました。


僕が最初に試した本『ラブ理論』に
田本の『タモ』を組み合わせた安易なネーミング。


僕の理論に名前がついて
番組スタッフさんや聴いてくれた方々に
それまじで理論化しようよ!や


僕の質問をカードゲームのように使うといった一言からカード化しようよ!といった


僕の会話理論に対する反応が返ってきました。

驚きました。
自分の意見が、こんなにもたくさんの方に反応してもらえると思っていませんでした。

 

それから世の中の僕のような
いわゆる『コミュ症』の方にむけ


僕だけに当てはまるのでなく
誰でも使えるレベルまで理論を詰めています^ ^


『タモ理論』の完成に向け
出演した【ホンマルラジオ】のパーソナリティを務めたり
タモ理論の事をまとめたブログを更新しています!


タモ理論の内容のご説明はできなかったので、詳しい内容についてはそちらから確認してみて下さい。


長文にお付き合いくださり
本当にありがとうございます。


以上が私タモっちゃんこと田本雅典の
四半生になります。

 

もし、あなたが現在
人と話すのが苦手だったり
恥ずかしさを感じているのでしたら


是非僕のところに連絡下さい。


あなたの悩みは
僕も痛いほどわかります。


あなたにとって
僕に連絡する事はとてもエネルギーのいること。


なので、最初からあなたに質問しておきます。

コミュニケーションの苦手なあなたですから、コミュニケーションについての悩みなんて一切ないでしょう?


ご返事お待ちしてます。

タモっちゃん

TRA innovator

おはようこんにちこんばんわ

伝記・プロフィールを書かせたら世界1!

おはっちーこと蜂谷航平です^ ^

 

 

 

★プロフィール紹介★

⭐︎瓶太さん

⭐︎TRA innovator という

和楽器の新しい表現に挑戦されてるチームの方のプロフィール!

ホンマルラジオ・奈良局のパーソナリティさんです^ ^

 

f:id:hachiyan:20180413113052j:image

 


何かを感じた方は

是非交流をもって下さい!!

 

facebook:https://m.facebook.com/shinji.hirata.1422?fref=nf

 

ラジオ「談・ディズム」:http://honmaru-radio.com/heita/

 

 

☆*:.。. 本文.。.:*☆

初めまして。
TRA innovator兼 ホンマルラジオ奈良局パーソナリティーの
瓶太です。


…初めましてにも関わらず、
大変しつれいしましたな数の「謎の肩書と名前」

上から順に
・TRA innovator
・ホンマルラジオ奈良局パーソナリティー
・瓶太


ひとつずつ解説させていただきたいと思います。
肩書だけでも覚えて帰ってください。笑


・TRA innovator

innovatorとは、【Traditional innovator】の略省。
ライノベーターと読みます。


ライノベーターのことを簡単に
本当に誰でもわかるように簡単に説明すると
和楽器の可能性を広げたい演奏者とそれの考えに賛同する人たちのこと。

 

・ホンマルラジオ奈良局パーソナリティー

ホンマルラジオとは、【本気・本音丸出しラジオ】の略称。

インターネットラジオ局の名称です。
そこのパーソナリティーとして
自身の番組「談ディズム」を持ち、ゲストをお迎えして

本気・本音のトークを行っています。
〖URLを貼ってください^^〗
・瓶太

笑福亭瓶太の略称。

笑福亭鶴瓶の27番弟子。

嘘です。笑
笑福亭一門とは何の関係性も持ちあわせていない私。


瓶太というのはあだ名です
瓶太と書いて"へいた”と読みます。


以上が、私の現在の情報。
より深く知りたいという方は、気軽にご連絡下さい。

ただあまり聞かないほうがいいと
私とは広く浅くの関係をおすすめいたします。


大変ディープでございます。
なんちゃって。


これ以下の文章が
私の現在にいたるまでの過去のお話にになります。


紆余曲折ありますので、退屈させませんよ。


1969年1月29日
京都生まれ、大阪の藤井寺8歳。引っ越し奈良の北葛城郡上牧町

父・母・姉の四人家族。


幼少期より
大人しく・引っ込み思案で人見知りだった私。


私の半生は、この引っ込み思案な性格との
付き合いであり克服がテーマとなっています。


幼稚園の時期の人見知りの男の子の宿命は
ガキ大将のターゲット。


男の子のやんちゃさは
幼ければ幼いほど純粋が故、ハードと相場は決まっており
よくいじめられていました。


小学校に進んだ時に出会ったのが
『野球』です。


その出会いは一年生の頃。
王・長嶋の時代


ポジションはファースト。
打順は2番か3番となかなかの優秀さ。


人見知りでしたが、運動神経に恵まれて
小学生の野球ライフを満喫しました。


が、中学野球の坊主にしなければいけない。
ことがどうしても受け入れることできずに


野球ライフは幕を下ろしました。


水泳部に入部。

理由は、髪型についての規制がないのが
サッカー部か水泳部しかなく、


当時は、ツッパリ・ヤンキー全盛期。
サッカー部にはヤンキーがたくさんいたので、


引っ込み思案の僕にはどうしても馴染めない環境だと。
消去法で水泳部を選びました。

 

上牧高校


高校は新設校で、プールがなかったので
バレーボール部に入部したのですが馬が合わずに退部。


プラプラするのはよろしくないと思い
吹奏学部へ転部いたしました。


スポーツとの関わりは無くなった。

かのように思えたのですが、
意外にもハード。


なかなかの運動量。
思い出すだけでも座り込みそうになります。


引っ込み思案のスポーツマンは
阪南大学に進学し、スイミングスクールのインストラクターのバイトを始めます。


爽やか!


今の私からは想像できないです。


且つ、顔も爽やかだったのです。
そしてモテ期の覚醒。


性格は引っ込み思案のままだったのですが、
ルックスの良さに救われました。


そして、就職。印刷会社で務めることに。


社会に出た時、自分の引っ込み思案な性格・人見知りを
克服しようとけついしました。


環境・立場が変われば
人は変わるもので、当然といえば当然なのですが


当時の私にとっては
「自分を変える」という大きな覚悟とパワーを要する決断


ビフォーアフター
今の私を見てくだされば分かるかと。。


逆にビフォーの方がイメージしにくいですかね?


周りの人付き合いのいい人のやり方を取り入れてみたり
できる範囲の努力は繰り返したのですが、


根本的な引っ込み思案が拭い去れないので
やはりどこか中途半端。


完全に明るくなったとは言い切れない状態でした。


しかし、転機は訪れました。


その転機とは香港への転勤。
ダジャレではございません。


英語も中国語も知らない私にとって
小手先のコミュニケーションが通じない環境は
僕の性格を改革するのに最適だったと今は思います。


もちろん今振り返るとですが(笑)
当時はヒッシのパッチ!!


つたない英語とパッションのみで相手に何か伝えようとするので
引っ込み思案などではいれませんでした。


特に、私を変える『きっかけ』となったのが


三日後にお金を振り込まなければ、
事務所の賃貸料が払えないので、中国のお客様からお金を集めてほしいと指示が。


香港から中国のクライアントに電話をしようとしたのですが、
当時中国の電話の回線はなかなか繋がらない。


何度も電話をし、
ようやく繋がった電話で、つたない中国語を必死に駆使し

至急、お金を用意してほしいこと
人民元でなく、香港ドルで用意して欲しいことを伝えました。


そして飛び乗りで広州へ
それがたまたま旧正月の日で
右も左も分からない中国が人でごった返しの恐怖に耐えながら
お客様のもとに到着しました


お金は用意してくださったのですが、
香港ドルへの両替が間に合わなかったそうで


人民元の価値が低い時代で
紙袋パンパンに中国元を詰め込み香港へ帰還


しようとしたのですが、


中国は貨幣の持ち出しを固く禁じていたので
列車の駅で職質されてしまいました。


日本人が紙袋にパンパンの中国元を入れて急いでいる。
そりぁ職質もしかたないですよね。

もしかすると慣れない中国でとんでもない顔をしていたのかも。

今でも職質されてもおかしくないオヤジですけどね。


そのときの私にとっては大きなロス。
早くお金を振り込まなければいけないのに


そこでも
なんちゃって英語と中国語で必死に
怪しものではないアピール

90分の説得の後に解放されました。


引っ込み思案がどうのこうの
人見知りがどうのこうの言っていられる状況ではありませんでした。


香港駅でも同様の職質を受けながらも
なんとか振り込みが間に合って


一命を取り留めました。

 


話さなければいけない状況に立ち
自分の言葉が通じない世界で追い込まれて私は


引っ込み思案を克服し
今の何事にも動じないメンタルが形成されました。


羞恥心を捨て、パッションで人とぶつかることを知り
自分の性格も変わったのですが、


人生はそんなに甘くはありません。


ここからは苦難の連続。
ひと呼吸してからスクロールを続けてください。


翌年の旧正月に日本に帰省。
そこで言われた一言がコチラ⇩⇩

「景気が悪くてそれどころではないから、香港に戻らなくていい。」

衝撃でした。

私の香港での努力はなんだったのか?


中国のお客様に大風呂敷を広げてしまったので、
会社は責任をとれなくなり、

わたしは一切の外出・連絡を禁じられ
飼い殺しの状態に。

それが半年も続きました。


彼女にも愛想をつかされ
人生のどん底を迎えたと思っていたのですが

 

ここはまだ底ではありませんでした。


なんだかしくじり先生風。笑


携帯電話が爆発的に普及したころに
携帯電話の説明書の印刷で大きな成果を上げ始め、


36歳の頃にヘッドハンティング
Y社という老舗の印刷会社に転就したのですが、


もちろんシークレットな案件。

もともといた会社の取引もあったので
絶対にばれてはいけない会社員24時として
違う会社の社員という偽りの肩書で勤め続けました。


何かと隠されがちな生活を送ります
その反動から今では全てオープン。さらけ出しています


四年。今まで一番身を粉にして、もはや素粒子のレベルまでにして
がむしゃらに働きました。


が、会社にリストラを言い渡されます。

 

手元に残ったのは
『人様より高い給料』と『余計なプライド』のみ。


その2点も、会社あってのもの
会社が倒産してしまっては何も残らなかったも同然。


空っぽになった私は

新たに入った印刷会社に入りますが
その会社も倒産してしまいます。


2度目の失業。


「サラリーマンなってまっぴらごめんだ。」

と自身で印刷会社を企業します。


貧乏でもいいゼロからのスタートだ。

何もかも失ったときに
私が持っていた余計ものも一緒に捨てることができました。


引っ込み思案・羞恥心・プライド・高い給料
最後の一つは手放さなさなくてもよかったか。


最初の1・2年はほんとに収入もなく
厳しいものでしたが

3年目にしてようやく少しづつ
軌道に乗り始めました。


そんな頃に高校の同級生の紹介で
『ホンマルラジオ』というインターネットラジオにゲスト出演し


その後も交流を深めます。


その交流は私にとある人生の「ヒント」をもたらしました。


それが自分の芯を作ること。


多種多様な人々が集う「ホンマルラジオ」にいても
まったくジャンルが違うにもかかわらず、


プロフェッショナルと呼ばれる人たちが持っている
「人間の芯」たるものは
ほとんど共通していることがわかりました。


もちろんプロフェッショナルたちには
それぞれの特別な技能があることは間違いありません。


その特別な技能を習得する過程の中で、その修練の繰り返しの中で、
技能だけでなく心も磨かれ太い幹のような「芯」が形成されるのです。


本物に触れて私は初めて本物とは何なのか?
人間の芯はいかに形成されるのか?
考えるように。。。


いかに形成されるのかは、まだ私にもはっきりと説明できません
私もまだ自分の芯を模索している最中。

 

私の番組「談・ディズム」にて
モノホンのプロフェッショナルから


人間のプロフェッショナルの「芯」を
学んでいる最中です。


この番組や私自身の生き方を通して
たくさんの人に発信しつつ私も学んでいこうと思います。

 

TRA innovator 瓶太。

ラジオ王の右腕。〜ホンマルのレイリー〜

 

僕、田中明広は1990年7月17日に和歌山県和歌山市に生まれました。

 


父と母6人兄弟の4番目
ピンとこないですよね!笑 6人兄弟って

 

シンプルに家に人間が8人いる。ってことです
嬉しさ・しんどさ・喧嘩・仲良しの量が
4人家族の倍。

 

 

幼少期から好奇心が旺盛で、知らない人にも手を振ってしまうほど。


トレードマークのメガネもその頃からかけていました。
メガネをかけているという情報だけでも覚えて帰ってください^^

 

小学校に入ってから、ゲームに出会います。特に僕がハマったのが
RPG(ロール・プレイング・ゲーム)
自分がやり込んだ分がキャラのレベルになる。自分のペースでプレイできる
そんな感覚が好きでした。

 

親に半ば無理やり、そろばん教室に入れられたのですが、サボってました。笑

 

高学年になると、
転職を繰り返す父の金銭的影響と
共働きで忙しくなった母の家庭的事情により、

 

兄弟で家事を分担することに

よく、夜遅くまで友達の家で遊び
親に怒られるのが嫌で外で寝たり、こっそり忍び込んだり。

 

 

その頃に父が家のテレビを捨て、学校の話題についていけなくなり
周囲とギャップが生まれるるように、そこから人と話すことに苦手意識を持つようになりました。

 

 

怒られるのがイヤ。

ついてけないのがイヤ。
人に見下されるのがイヤ。

当時「イヤ」が多くて、先回りして「イヤ」を
回避するように

そのきっかけになったのが
学校のクラスメイトから「自己中」と言われるようになったこと。

 

 

自分で言うのもアレですが、
僕は真面目でした。

 

僕の真面目の定義は
自分の「こうあらねばならない」が壊せない人。

 

 

「こうあらねばならない」を人に当てはめて
人を上や下に見ることもありました。

 

高校は、倍率が低く、学力も自分より低い学校を選びました。

 

 

高校生活は吹奏楽部に没頭しました。
部活が楽しくて学校に行くくらい。

その傍らで飲食店でアルバイトを始め、
そこの料理長が私にとても影響を与えました。

 

 

料理長は厳しく、見た目も料理よりヤクザ。
でも、筋が通った方で、人生の大切なことをたくさん教えてくださいました。


単純作業は早くする。自分のミスを許してもらうために仲間に謝るなら、お客さんに何ができるかを考える。

 

 

進路を決める三者面談で、
大学に行きたくない、就職もしたくない。

と専門学校へ進学。卒業して得れたものは特になく、

 

 

そのまま通信制の大学に進学したのですが、特に学ぶべきことも見つけられずに中退して

 

23歳の時に板金工場で働くことに
その際に言われた父からの言葉「今、苦労しとけよ」が


納得いっていない。

 

何が?と思われる皆さんに向けて2行程でお伝えします。

 

父の考えは、若い時に苦労して、年老いてから楽に暮らす
僕の考えは、老後に楽しても体力も衰えているし、年老いてから自由に暮らしても仕方がない。

 

 

ものづくりが好きだったので、仕事の内容はフィットしていたのですが、
時間の自由がないことに不満を抱えていました。

 

2年後、25歳で父に不動産に誘われて
一応、いってみよう感覚で受けた面接に一発合格。

 

 

晴れて就職したのですが、なんかしっくりこない。

 

仕事もあまり好きではないし、時間の余裕もない。


そこからの焦りが沸々と湧き出しました。

漠然と自分の人生に不安を抱いてる時に
なんとなく参加してみた「ボルダリング」で

ネットワークビジネスの活動している方と知り合い、
そこで、新しい働き方の形を知りました。

 

 

でも行動ができない。

 


ものをいいと思っていても、いいと言えない。

真面目な私が邪魔をする。


相手にどう思われるかを気にしてしまう。


そこを極めることはいったん諦めました。

 

しかし、今までに体感したことのない
新しい刺激に感化され、

勢いで、あてがないのにもかかわらず
退職届を提出しました。

 

 

そして、そのタイミングで「嫌われる勇気」という
一冊の本に出会いました。
その本を読み、自己中と言われて塞ぎ込めていた
「自分」に「わがままな気持ち」に正直になっていいのだと、
その結果嫌われてしまうのは仕方ない。と思えるほど、自分に正直に生きて初めて、自分の人生を生きているということなのかもしれないと思えました。

 

 

自分の本当の気持ちを言うことの大切さをわかったと同時に、それを言える相手がいなければ、環境に居なけれれば、本音はなかなか出せるものじゃない。ということにも気がつきました。

 

 

モヤモヤしている私の元に、きっかけが巡って来ました。

 

 

乗り合わせで大阪に向かった友達が、ラジオに出演するという話を聞いて、「なんかおもろそうやな」と思っていた所にパーソナリティーの方に「みんなででぇや」と一声。

 

 

その場所が、「本気の人が、本気でしゃべる、本気まるだしラジオ局」のホンマルラジオでした。

 

「やばい!これが求めていたことや」

 

 

そして運命の連鎖。

 

僕は一目惚れをしました。

 

 

それがホンマルのスター。なんぼでも社長。

前田薫(まえだ かおる)。
通称かおるちゃん。

僕は出会ったその瞬間にこの男と何かをしたい。いや、できる!

 

 

そこからの決断は一瞬。かおるちゃんの元でディレクターになりました。


あまりに一瞬で書くエピソードがないくらい。笑

 

 

 

 

一瞬で大阪ディレクターになったもので、具体的なプランや目標は一切ないのですが、かおるちゃんといれば「何か」ができる。ホンマルラジオにいれば「何か」が起こる。と確信しています。

ゆるゆるはっち

【“世界一”のライターおはっちー】


おはようこんにちこんばんわ!
ゆるゆるゆっこさんの『それでええやん』のラジオライティングです^ ^

テーマは『イライラをゆるゆるにする禅タロット』

 

すぐ聴きたいって方は
http://honmaru-radio.com/yuruyuru0004/
ここから飛んで下さい^ ^

 

 

それではライティング
レッツラゴー(^∇^)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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ゆるゆる自然カウンセラー
ゆっこ こと近藤有希子の
ゆるゆるゆっこの『それでええやん!』

 

ゲストは禅タロット鑑定士
フラットかこ さん

 

悩み・ストレス・イライラの元って


なんでしょう?

 

時間?環境?不自由?

 

どれも正解だと思います。

それらは全て「自分」が原因。

 

って言われる。と誰もが予想したと思います。

貴女はどうでしょう?


今回はもう少し掘り上げています。

 

「自分」を原因と捉えるのではなく、
原因が眠る「宝の地図」と捉えてください。

 

地図とセットのコンパスは「今」という概念

「今」に注目すると、
「過去」と「未来」「自分」と「他人」が切り離せて、一体何が、原因なのかわかりやすくなる。

 

その「今」に注目できるのが
ゆっこさんのカウンセリングであり
かこさんの禅タロットなんだと思います

 

自分の「今」から
何かを分析するあり方を30分
発信していきます

Les Misérablesを斬る!


【“世界一”のライターおはっちー】
おはようこんにちこんばんわ!

 


世界のYUTAさんのラジオライティングです^ ^

テーマは『レ・ミゼラブルを斬る!』

 

 

すぐ聴きたいって方は
http://honmaru-radio.com/kotaniyuta0006/
ここから飛んで下さい^ ^

それではライティング
レッツラゴー(^∇^)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

世界のYUTA
(舞台演出家&俳優小谷勇太)の
「舞台ぶった斬り!!」
レミゼラブル』をぶった斬る!!

今回ぶった斬る!作品は
レ・ミゼラブル


みなさんも一度は
お耳にしたことがあると思います。


しかし、舞台に足を運んだことが
ないのではないでしょうか?


天才・勇太がぶった切るのは、
その舞台と日常に生まれる垣根。


レミゼラブル」の見方・観点が
合う合わないにしろ


今まで、あなたに存在しなかった観点

それを確かめるためにも
ぜひ劇場に足を運んでください!

水で体づくり

【“世界一”のライターおはっちー】


おはようこんにちこんばんわ!
笑いの女神さあこさんのラジオライティングです^ ^

 

テーマは『水で体づくり』

すぐ聴きたいって方は
http://honmaru-radio.com/sako0023/
ここから飛んで下さい^ ^

 

 

 

それではライティング
レッツラゴー(^∇^)

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高槻市のエレクトーン、大正琴教室
えちゅうど音楽教室

笑いの女神☆さあこ☆の
「笑うあなたに福来たる♡」

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今回のゲストは

ミネラルの伝道師
黒瀬信明(くろせ のぶあき)さん


「健康」

あなたは「今」健康ですか?

世の中に健康になりたくない人はいない。
という前提でお話しさせて頂きます。


健康とは自分の体を
自分で管理できている状態。

人間は健康のために
「摂取」と「排出」をしています。


自分が正しい「摂取」ができているか
あなたは考えたことがありますか?

人間が最も摂取するのが「水分」

その水分をより良いものにすることが
より健康に近づくきっかけしてほしい


その思いを込めた30分!